2023年11月15日(水)20時~21時15分
参加者 会員6名、他友の会2名 via Zoom
📕読書
『みどりごの心』より「貧しい女のレプタ」と「幻の飛行機」
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日本、タイからも参加💕 |
🌱感想
タイトルの「貧しい女のレプタ」は、聖書のマルコによる福音書12章41〜44節に書かれている「やもめの献金」の話からつけられています。
羽仁先生は、自分の力は足りなかったがすべてを捧げて信仰篇を書いたという思いでこのタイトルをつけられたと思います。
この箇所を読み、信仰篇を読んでみたいとの声も聞かれました。
以下、「貧しい女のレプタ」の感想の一部です。
(それぞれの心に響いた引用箇所にはハイライトをつけています。)
●信仰に関わることが書かれているが、自分も聖書勉強会や教会の集まりに参加するようになり、キリスト教の勉強をしている。
「信仰は我々の常識ではないのです」という文があった。
洗礼を受けたら何か変えなくてはいけないのか、などと信仰を難しく考えているところがあることに気づいた。
「キリストから説教を聞こうとしないで〜中略〜我々もまた共に絶対の使命と環境を持った生活者としての強気自覚をもって〜(後略)」と書かれており、集まりに出ているうちに、自然と信仰心が芽生えるのだなということに気づいた。
教会に登録した時点では、信仰心がなければ登録してはいけないと思って壁を作っていたが、一緒に過ごす中で、徐々に信仰心が芽生えていけばいいのだと思った。
●「弱い信仰」と書かれているが、羽仁先生は「強い信仰」を持っていると感じる。
「ただキリストのみ声を、この弱い信仰の受話器をもって、他の騒音の中に、ほんとうに微かに聞くことが出来るほどの、哀れな立場にいるものでも、その微かに聞こゆる導き故に、限りなき恩寵の途上にあることを確信し、人の世の姿を朧気ながら大体において正しく見ることが出来るのだと思っています。」
現在の世界情勢、戦争の報道を見ながら、なぜこんなことが続くのか、どうやったら止められるのか、自分には具体的に出来ることがないので心が痛む。
平和な日本で、何の苦労もなく毎日を送っている。これは普通ではなく、感謝すべきものだと改めて思う。
●「どうか一つの神を仰ぐ友だちの、私たちの周まわりに多くなって下さるように、否私たちが聖霊の助けによって多くの友の本当の友だちになることが出来るように。〜(中略)〜新しい哀しみと歓びの道に手を携えて進みましょう。」という部分を読み、現在の友の会の思想が、昭和5年から続いていることに驚いた。
また、「あの人たちの思いつきのほかに、その巧妙と迅速さをあわせ語るのに十分でした。」という文を読み、ソウル友の会の皆がそうだと感じた。
●「キリストは説教者ではありませんでした。道を説く人ではなく、絶対の使命と環境を持った生活者でした。〜(中略)〜我々もまた共に絶対の使命と環境を持った生活者としての強き自覚をもって、十分良心的にキリストを見なくてはなりません。」という文章に、羽仁先生の信仰がよく現れていると感じる。
よい麦と毒麦は一緒に育つ。日々、よい麦として結果を残さなければいけないと感じる。
●受洗した会員に対し、「共に一つの聖霊を仰ぐ同志」となれたことが心から嬉しい!
●先日、受洗した。信仰するグループの方に、いつかは行くかなと思っていた。洗礼を受けられない理由を挙げていたが、勉強は一生終わらないならこのままでは一生そのグループに入れないと思い、チャンスと思って決めた。
周囲の人が自分以上に喜んでくれていると感じている。自分の行動で周りの人が喜んでくれていることがとても嬉しい。
「我々もまた共に絶対の使命と環境を持った生活者としての強き自覚をもって〜(後略)」という箇所と、「この弱い信仰の受話器をもって〜(後略)」の文に共感した。
●「教育に神がなくてはだめです。我々の家庭に神がなくてはだめです。〜(後略)」
自分が主となり、何を教えたいかということではなく、子どもたちに何が必要かという視点で神様の御心に従って子どもを育てたいと思う。
「神様と共に歩めますように」といつも祈っている。
自分の子どもに対しても、自分が主になって怒ってはいけないと改めて感じる。
💓歓談
歓談の時間には、バンコク友の会の会員が参加。
バンコクは今月21日にキムジャンをする予定。ポイントをおさらいしました。
・コチュカルは粗挽き、種無しを使用。
・キムチは漬けてから1週間すると馴染む。
ぬか漬けではなく、キムジャンをやるのが面白いねとの日本在住会員からのコメントも!
タイにはないカラシナの代わりに、アブラナ科の葉っぱを利用するとのこと。
また、タイには青パパイヤのキムチがあるとのことで、画面越しで見せていただきました。