この日歌った讃美歌の作詞者は、長坂鑒次郎という方だそうです。
長坂鑒次郎氏は、担当者の日本の母教会である阿佐ヶ谷教会員で国立音大教授でした。
作曲された1952年は、終戦後で生きる希望を失った人たちが多く、そんな中で教会の門を叩く人も多くいました。教会学校も活発で、教会員が増えた時代だったそうです。
そのような背景を知って歌詞を考えながら歌うと、当時の様子が頭の中に描けるような気がしました。
1 行けども行けども ただ砂原、
道なきところを ひとり辿る。
ささやく如くに み声きこゆ、
「疲れしわが友、われにきたれ」。
2 やけたる砂原 いたむ裸足、
渇きのきわみに 絶ゆる生命、
しずかにやさしき み声きこゆ、
「生命のいずみに 来たりて飲め」。
3 帰る家もなく つかれはてて、
望みもなき身は 死をぞねがう。
さやかにちからの み声きこゆ、
「帰れや、父なる 神のもとに」。
📕読書箇所
『夫婦論』より
八 長所の禍い(互いにたよりすぎるな)
九 夫婦と合性(火性水性の夫婦、夫婦交情の機微、異なった性質とその配合)
「夫婦と合性」の最後の4行にはこうあります。
「どうか、夫婦は相互に理由のない束縛や干渉をし合わずに、めいめいに責任をもって、自由に快活に行動して、しかも互いに同情と敬意を失わないようにするのが、もっとも幸福な生活法であることを、みなが考えるようになったら、ひとり女のためではなく、家庭のために人類のために、じつに幸福なことであろうと思います。」(本文より引用)
「この4行に尽きる」、「この言葉を事あるごとに読み返したい」との全会一致の意見が聞かれました。
外国で暮らす者として、という視点でもそれぞれが夫婦の在り方を考え、振り返る時間となりました。
以下、出席者の感想です。
・夫が得意なことは夫に任せきり。どちらかが死んだ時にできなかったら困るので、多少教わっておく努力も必要だと思った。
夫婦がかなり違うもの同士。しかし、長く共に暮らしていると、夫婦の関係性が変わってきていると感じる。
夫婦がかなり違うもの同士。しかし、長く共に暮らしていると、夫婦の関係性が変わってきていると感じる。
・最近、義父が急逝した。義父の人生はどうだったのか。遺された家族が、それぞれの最後の対応を悔いていた。
一人になると亡くなった親のことをふと思い出してしまう。家族の大切さを再確認するきっかけとなった。また新しくスタートが切れたので、忘れないようにしたい。
・互いが干渉しない夫婦。時々、自分のことが心配ではないのか?と聞いてくる。
好きなことをやらせてもらっているので、夫への敬意を忘れないようにしたい。
・羽仁もと子夫婦はどうだったのかと考えながら本文を読んだ。違う性格のもの同士の夫婦だったが、協力しながら使命をやり遂げたのではないかと思う。
最近親しい方の配偶者が亡くなり、その人がいかに自分が相手に頼っていたのかを感じたと言っていた。独り立ちのための戦いをしている。自分も夫に頼っている、一人で暮らすことは難しいと感じた。
最近親しい方の配偶者が亡くなり、その人がいかに自分が相手に頼っていたのかを感じたと言っていた。独り立ちのための戦いをしている。自分も夫に頼っている、一人で暮らすことは難しいと感じた。
・夫が勝手だと感じる。束縛・干渉されたくないという立場なのに、日本にいると家に居て欲しいと言ってくる。夫と子どもの生活時間のズレ、家庭教育への非協力的な態度のために葛藤がある。
・韓国の勉強を日本人母が見ることに限界がある。
・(上記に対し)ヨーロッパでは、国際結婚家庭で継承日本語教育を施す例として、お父さんを巻き込み家族でキャンプを企画したり、スピーチ大会で非日本語話者の親と子による落語の発表などがある。父親を巻き込んだ活動も良いかもしれない。
👜友愛セール(ヌビバッグの製作)について相談
10月に教会で行われるイベントにブースを出店させていただく形で、ヌビバッグを販売することになりました。目標数は、40個です‼️
週6個を目標に、裁断、縫製を協力して進めていきます。
販売収益の一部をモンゴルキッズの家へ献金するため、ブース展示用のポスターや製品につける案内のチラシ作りも行います。
皆で頑張りたいと思います💪💪💪💪💪